言うまでもなく、飲食店というのは非常に古くからある商売のひとつである。といっても、私は、いわゆる伝統とか老舗の話をしたいのではない。ここで大事なことは、飲食店は昔から生活に密着してきた商売、人々の生活になくてはならない商売だったということだ。そば屋、すし屋、居酒屋などは、江戸時代から続いている業種である。
もうひとつ、飲食業の本質を知る上で大事なことは、かつて飲食店はほとんどが生業店で占められていたことだ。生業店というのは、夫婦や家族で生計を立てるために営業している飲食店のことで、いまで言うパパママ店である。
生業店だから当然、お店の規模は小さいし、商いの金額も小さい。これは飲食店に限つたことではなく、私が子どもの頃は、町の商店街といえば、八百屋も魚屋も豆腐屋も、ほとんどが生業店だった。要するに、商売の基本的な形態である。
このように、飲食店というのは長い間、地域の生活に密着した小規模の生業店が当たり前だった。大きいといっても、せいぜい3、4店の支店をもつ程度の家業が中心だった。そういう地味な業界に変化が目立ち始めたのは、60年代の高度成長時代以降のことである。長引く不況下にあって、ここ数年、飲食業の市場規模は漸減傾向が続いているが、それでも25兆円を超える。
あまり知られていないようだが、これはわが国の基幹産業のひとつである自動車産業をはるかに上回る市場規模である。はじめて1兆円の大台に乗ったのは66年。東京オリンピツクが開催された64%、売上高は30%以上の驚異的な伸び率を記録している。
ところで、いまでこそ外食産業とも呼ばれる飲食業界だが、当時は少ない資金で手っ取り早く儲かるという「水商売」体質はまだまだはびこってはいた。いわゆるドンブリ勘定の商売で、従業員は安く使い捨てだ。
もちろん、現在でもそういう旧弊の残っている例を見かけるが、全体として見れば、格段に改善されているといえるだろう。しかし、60年代後半から70年代に入ると、先を見る目をもつ経営者が次第に出てきて、小規模ではあるが新しい魅力を備えた飲食店が増え始める。この時代、都市部の繁華街で大変な人気になった業態に、カウンターバー、パブ、炉端焼きなどがあったが、なかでも特筆したいのが炉端焼きである。魚介類や野菜をオープンキツチンのカウンターに並べ、お客様の好みのものをその場で焼くという炉端焼きは、食材をディスプレーする手法や演出性を重視したオープンキツチンスタイルなど、後の新業態の原点ともいえる要素をもっていたからだ。
70年代には、こうした新しいお店のスタイルが次々と開発されたが、それと同時に、業界には近代化の波が一気に押し寄せるようになる。チエーン店の時代がスタートしたのだ。チェーン店の移り変わりについては次項で述べるが、わが国の飲食店の発展は、アメリカの外食ビジネスのノウハウを導入したチェーン店の発展抜きには語れない。
しかし、だからといつて、飲食業界がチェーン店一色に塗りつぶされたわけではない。実は、飲食業界の最大の特徴は、他の業界と違い圧倒的なシェアをもつ企業がないということなのだ。最大の売上高を誇ってきたあのマクドナルドでさえ、全体の1%にすぎないのである。
たしかに、チェーン化は商品、サービス、店舗づくり、立地開発など、さまざまな点で業界を底上げし、大きく革新してきた。しかし、全体として見れば、飲食店の主体はあくまで個人経営の生業店、つまり個店である。店数の多いチェーン店は一見、大量のお客様を吸収しているように見える。しかし、それはごく一部での現象であり、限られた業種やスタイルのチェーン店だけで、すべての飲食ニーズをすくい取ることはできないのだ。
さて、話を戻そう。80年代の話題としては、83年あたりから火がついたカフェバーブームをはずせない。カジュアルさとフアッション性が売り物のこの業態は、現在に至るまで、さまざまなスタイルのニュートレンドを生み出している。
また、バブル時代に絶頂に達したグルメブームのなかで、フランス料理レストランがぐんと身近になつたことも記憶に新しい。90年代に入り、バブル崩壊とともにフレンチ・ブームはしぼんでいくが、代わって台頭したのがイタリアン・ブームである。イタリアンとフレンチのブームの質の違いは、イタリアンの多くがカジュアル路線を選んだことだ。
イタリアンの勢いが現在も続いているのはそのためで、今後も有望なジャンルである。同じくバブルの時期にはエスニック系のお店がブームになった。お店のスタイルとしては長続きしなかったが、メニューとしてはいろいろと応用されている。
最近の傾向としては、和食回帰のトレンドが注目される。回転ずしが代表的な業態だが、定食屋、そば屋、うどん屋も元気がいい。