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クレンリネスは店長のレベルを語る(2) 店の外を清掃する

クレンリネスは店長のレベルを語る(2) 店の外を清掃する

自店の回りを掃除する店は増えてきた

お店の中のクレンリネスについては、程度の差こそあれ誰もが気をつかう。ところが、お店の外となると無頓着なお店が多いoタバコの吸いガラが落ちていようが、歩道のフェンスの下などにゴミやチラシが吹き寄せられていようが、いっこうにお構いなしといった感じである。

これは、お店の規模の大小とか、会社経営か個人経営かなどにかかわらず、いまの飲食店全体にいえることだ。

最近は某有名のファーストフード・チェーンを見習ってか、自店の周辺を清掃するお店も出てきているが、まだまだその習慣が浸透しているとはいえない。

なぜ、お店の周辺の清掃をしないのか。私はよく店長や経営者に質問するのだが、答えは決まってこうである。

「うちの店舗でも土地でもないのだから、清掃する義務はない」と。

なかには「掃除はしたほうがいいとはわかっているが、ひっきりなしに人が通って汚していくのだからキリがない」という答えもある。

お店の前の歩道に街路樹などがあると、秋は落ち葉がひどくて迷惑このうえない、と顔をしかめる店長も いる。

これらのいい分は一見、一理ありそうに思えるかもしれない。しかし、一従業員ならともかく、店長ともあろう者の吐く言葉ではない。なぜなら、お客の心理を考える視点がスッポリと抜け落ちているからだ。その視点を持たなければ、店長は務まらないのである。

店の前が綺麗だとお客の満足感は高まるのが心理

かつては、毎日店頭をきれいに掃除することは、飲食店としての基本のひとつだった。夏なら水をまいたし、秋は落ち葉を掃き集めて、すがすがしい店頭にするように心がけていたものだ。

いや別に、「昔はよかった」式のお説教をしたいのではない。なぜそうしていたのか。その理由が大切なのだ。

では、その理由とは何か。ひとことでいえば、お客が快い気分になれるからである。なんだ、そんなことくらい常識じゃないか、と思うだろうか。それではなぜ、掃除しないのか、と私はいいたい。

飲食業はお客に対する奉仕業である。これもまた「常識」だろう。少なくとも、店長にあっては常識でなければおかしい。それなら、いわれなくてもつねに

お店の周りに気を配っているはずだ。わかっていてしないのは、たんなる手抜きでしかない。お客に尽くすことの喜びが、本当にはわかっていない証拠である。

クレンリネスは、お客に心地よく、かつ安全に飲食を楽しんでもらうための基本である。お客に満足してもらうための最低条件だ。クレンリネスが行き届いていてはじめて、料理やサービスのよさが生きてくる。トータルは付加価値となって、お客を満足させることができる。

ただし、お客にとっての付加価値とは、お店の内側だけに限定されたものではない。そう思うのはお店の人間の錯覚である。お客にとっては、お店の前に立ったときからすでに飲食の楽しみは始まっているのであり、支払いを済ませてお店のドアから外に出てからも、その楽しみの余韻は続いているのだ。つまり、お客の満足とは、たんに飲食をしているときだけでなく、お店に入る前と出たあとも含めた、トータルな印象で決定されるということだ。

だから当然、お店の前がきれいであれば、お客の満足感は高くなる。かつての飲食店が店頭の掃除を欠かさなかったのは、このお客の心理を理解していたからにほかならないのである。理屈はともかく、少なくとも経験的にそのことを知っていた。だから、店頭の掃除は余計な仕事でもなければ、公共物をきれいにするという単純なボランティアでもなかったはずだ。

「うちの土地ではないから」などというのは、要するにボランティアがイヤなだけなのだろうが、結局は貧乏人の銭失い的な近視眼に陥ってしまっているのである。

お客の立場からものをみると

お店の周辺をきれいにすることは、通行人を自店のお客にするための有効な手段でもある。

どんなに素晴らしいお店でも、その価値は実際に入ってみなければわからない。当たり前の話である。 一度でも利用してもらえれば、売り物の付加価値で固定客にすることもできるが、入ってもらえないことにはどうしようもない。

とくに、飲食店過当競争のこの時代、状況は厳しい。これだけお店が増えると、通行人の目には一軒一軒のお店はほとんど識別されていないといっていい。いわば、お店の群として映っているにすぎない。だから、によってお店の存在が目にとまったからといって、みながみなお客になってくれるわけではない。

看板に目をとめた通行人はお店の前まで来る。しかし、それで必ずお客になるとは限らないのは、不安だからである。このお店にはどんなメニューがあって、いくらくらいかかるのか。看板だけではわからないから、入ってみようか、どうしようかと迷う。だからサンプルケースが必要になる。

しかし、そのときお店の周辺がゴミや紙クズなどで汚れていたら、通行人はどう感じるだろうか。それだけで、そのお店の料理やサービスに疑間を抱き、人るのが心配になるに違いない。人間とは勝手なもので、自分では家の前の道路など掃除したこともないくせに、お客の立場になるととたんに神経質になるものなのだ。

汚れに慣れてしまうのが恐い

そして、お店の周辺のゴミや紙クズに無頓着なお店は、たいてい看板やサンプルケースの汚れにも鈍感になっている。看板やサンプルケース、置物などの汚れにつねに気を配っていれば、当然、周りの汚れが気になる。

ところが、看板もサンプルケースもその周辺も一様に汚れていると、汚れていることに慣れてしまうからだ。これはお店の中でもそうなのだが、お店の外はふだん見えないだけに、いっそう肌荒れに気づきにくいのである。

よくサンプルケースのガラスが破損していたり、中のサンプルが色褪せてホコリだらけになっているお店を見かけると思うが、そのうえ周辺が汚れ放題なのでは最悪である。

サンプルの誘客機能を理解していないためともいえるが、いずれにしろ、なんの効果もないどころかかえって悪いイメージをまき散らしているだけだ。これでは、通行人に「お客になってください」というのは無理な話である。

おいしそうな店に見えているか

このように、お店の周辺のクレンリネスは重要な意味をもっている。もちろん、公共の道路をきれいにするというのは、そのこと自体が人間として美しい行為である。

だから、お店の従業員がしょっちゅう店頭を掃除していれば、その姿は通行人や地元の人たちに好印象を与える。それがお店の評判を高めてもいくのだが、第一義はあくまでも、飲食業としての当然の義務、という点にある。

通行人が入ってみたくなるお店、一度来店したお客がまた来たいと思うお店になるためには、お客とお店とをつなぐアプローチ部分=お店の外回りに十分な神経が行き届いていなければならない。お客のチェックは細かく厳しい。

店長は、そのシビアなお客の気持ちになり切れなければいけない。わが店はおいしそうなお店に見えているか。安心して飲食できるお店に見えているかどうか。つねにチェックし、部下に清掃を命じなければならない。食欲をそそるお店とは、要するに清潔感あふれるお店のことなのである。

著者紹介:宇井 義行
コロンブスのたまご 創業者・オーナー

学業のかたわら、18歳から飲食店で働きながら実践的な飲食業を学び、23~25歳で6店舗の飲食店経営を手掛け、超繁盛化。赤字店の1ヶ月での黒字化など奇跡を起こし注目を集める。 26歳の時、実践的な「飲食コンサルタント」として独立。個性的な店、地域一番店を目指し、情熱ある現場直接指導に力を注ぎ、 全国の飲食店3000店舗以上を指導。指導歴日本一のフードコンサルタントとして数多くの難問を解決。不振店を繁盛店へと生まれ変わらせる手腕は業界屈指のリーダーとして国内外で高く評価されている。