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飲食繁盛知識/決定版 飲食店の店長&経営者 これができなければ務まらない

店長がサービス業としての認識をもつことが根幹

お客の立場で感じた経験を生かせ

前項で、サービス業であればお客を大切にすることなど当たり前のことだ、といった。ところが、この当たり前のことを当たり前にするということが、意外とむずかしい。サービス業という言葉は知られているのだが、それが実際にどういうことなのかとなると、案外と知られていない。このことは、あなたが日ごろ利用している飲食店のサービスレベルを思い起こしてみれば、すぐに気がつくはずです。

もちろん、雰囲気のよさや接客ぶりに感心したというお店もあるだろうが、腹立たしく思ったり、それをとおりこして呆れ返ってしまったお店も少なくないと思う。

実はこういうことは、誰もが感じていることなのだ。だからお客は、お店を選ぶ。不快な思いを繰り返したくないからだ。とすれば、飲食店のサービスレベルは全般にもっと向上していいはずである。ところが、現実はそうはなっていない。

どうしてなのか。飲食業に従事している人たちが、自分がお客の立場で感じた経験を、自分の仕事に生かしていないからである。少なくとも、店長であるあなたは、このことを真剣に反省してみる必要がある。自分がお客のときに「こうしてくれたら」と思ったことを、自分はお店でお客に対して実行しているだろうか、と。そして、こう自戒してサービスの向上に努力しようとすることが、サービス業としての認識をもつことの第一歩なのである。

お客に「尽くす」ということ

サービス業という仕事をひとことで表現すれば、それは「お客に尽くす」ということだ。では、「尽くす」とはどういうことなのだろうか。

ここで、お店での接客サービスを具体的に考えてみよう。

お客がお店に入ってきたら「いらっしゃいませ」といい、帰るときには「ありがとうございました」という。お客を席に案内し、水のグラスを出してオーダーをとる。料理ができたらお客のテーブルまで運び、お

大ぎっぱにいえば、これが接客サービスの実際である。問題は、これではたしてお客に尽くすことになるのかどうか、ということだ。たしかに、これらは接客の基本ではある。しかし、その基本をなぞるだけでは「尽くす」ことにはならないというところに、サービス業の奥の深さがあるのだ。

お客が感動するのは、自分が大切にされていると感じるときである。では、どうしたらお客にそう感じさせることができるのだろうか。それは、お客を愛することによってしかできない。愛する人のためだからこそ、かゆいところに手が届く。できるだけ食事を楽しんでもらいたい、というこころが自然と体を動かすようになる。これが「尽くす」ということである。

お客を愛する=これが仕事の根幹

たとえば、同じ「いらっしゃいませ」の言葉でも、心がこもっているといないとでは、まったく違う響きになる。「ありがとうございました」も、本当に感謝の気持ちがこめられていなければ、お客の耳には空々しく聞こえるだけである。しかし、自分の給料を払ってくれているのは会社ではなく、お客さまなのだ、と思っていれば、わざとらしく強調しなくても自然と、言葉の響きに感謝の気持ちがあらわれる。心から感謝されて、いやな気分になる人はいない。

また、そういう感謝の気持ち=お客への愛があれば、お客の食べるスピードをはかりながらタイミングよく次の料理を出すとか、お客の会話を妨げてしまいそうなときにはできるだけ邪魔をしないように心がける、といった細かな配慮が無理なくできる。

お客を感動させるこういうサービスは、形ばかりのお仕着せサービスでは絶対にできない。愛する人のためならたいていのことは苦にならないが、そうでない人のためとなるとちょっとしたことでも億劫になるというのが、人間の心理というものだ。

お店が繁盛するということは、そのお店にQSCの価値があるということだが、いいかえれば、多くのお客にお店の愛が受けとめられている証拠である。だから私は、繁盛させるのは実は簡単なことなのだと、いつもいっている。お客は愛に包まれた飲食を買いにくるのだから、ひたすらお客を愛することだ。それが、サービス業=飲食業の仕事の根幹なのである。

お客の満足感とは豊かな気分を味わうこと

外食は消費者にとって、もっとも身近なレジャーである。この真理は、昔も今も変わらない、ただし、レジャーの質、中身は大きく変わってきている。飲食業=サービス業としての認識をもつうえで、このことの理解も大事な意味がある。

30年前、日本がまだ貧しかった時代には、お世辞にもサービス業などとはいえないお店が大半だった。

なぜなら、当時の飲食業界にはサービス業という認識はほとんどなく、空腹充足業であることを自他ともに認めていたからだ。もちろん、空腹を満たすことはお客の第一の目的だった。ふだんと違うモノを食べることが、家庭のちょっとしたお祭り=レジャーだったのである。だから飲食店は、飲食というモノをポンと出すだけで、十分に成り立ち得た。

しかし、いまは豊かな時代である。飲食業はもはや、空腹充足業ではない。レジャービジネスとして成長し、消費者からも豊かな時代にふさわしいレジャーであることを期待されている。よく飲食は人間の生活から切り離せない、といういい方がされる。だから飲食業はビジネスとして安定している、と考えている人は多い。

たしかに、この考えは一面では間違ってはいない。しかし、そういうモノに根ざした発想は、30年前の発想だということを指摘しておきたい。

いま、お客が飲食店に求める豊かさに実感とは、ゆとりとか楽しさといった精神的、情緒的なものだ。料理がおいしいに越したことはないが、それ自体が目的ではなくなっている。親しい友人や家族と食事をする。

その楽しく豊かな時間を過ごすことが大事なのであって、食事というのはそのためのシチュエーションの性格が強くなっている。これが豊かな時代のレジャーという意味である。レジャーは生活に欠かせない喜び、楽しさだ。その喜びを多くの人たちに提供するのだから、飲食業は価値あるビジネスといえる。

こういうレジャーをお客に提供するにはどうしたらいいのか。答えはおのずと明らかになってくるはずだ。

モノを提供すれば済んだ時代は、仕事は料理を出すことで完結してしまっていた。しかし、豊かな気分が重視されるいまは、楽しめるお店にすることが求められている。QSCの三要素のバランスが大切だというのは、このためなのである。

料理のクオリティが高いことは当然のこととして、それプラス、楽しい雰囲気とそれを演出する愛のあるサービスがなければ、お客は豊かな気分になどなれるはずがない。お客の満足感とは、豊かな気分を味わえたということなのである。

サービス業の店長ならではの生き甲斐

サービス業としての認識をもつことは、この仕事のやり甲斐、生き甲斐に結びつく。たとえば、モノをつくって売るだけでは、お店の顔が見えてこない。しかし、飲食業は違う。お客の反応を目のまえで見ることができる。 一所懸命に尽くせば、満足してくれているお客の気持ちが直接、伝わってくる。お客との血のかよった関係が成り立つから、その場その場で自分の仕事への充足感を味わえるのだ。

いうまでもなく、仕事のやり甲斐とはこうした充足感があってはじめて、生まれてくるものだ。たしかに、会社から評価され、それが収入アップや昇進につながるという喜びもある。しかしそれは、やり甲斐をもって働いた結果として、自然とついてくるものである。

この充足感のすばらしさこそが、サービス業の原点ともいえる。お客を喜ばせることがそのまま、自分の喜びの実感となる。生き甲斐がストレートに自分の豊かな生活に結びつく。これは飲食業ならではの魅力だが、それはサービス業だからこそ味わえる醍醐味なのである。お客の笑顔を見るだけで自分の気持ちが浮きうきしてくるようであれば、あなたには立派な店長になれる資格がある。

飲食業の価値を決めるQSCの三要素(商品・サービス・雰囲気)

「飲食業とは何か」を整理する

店長の仕事とは何か、ということを考える前に、飲食業とはどういう業種なのかについて、整理しておこう。なぜなら、このことを本当に理解していなければ、あるべき店長の姿が見えてこないからだ。

飲食業がサービス業だということくらい、誰でも知っている。サービス業であれば、お客を大切にすることなど当たり前のことである。しかし現実に、本当にお客を大切にしているお店が、どれほどあるのか。ランダムに100店のお店に入り、お客としての日で採点してみるといい。少なくとも、繁盛店とそうでないお客との違いが見えてくるだろう。

とはいえ、その違いをひとことで表現するのはむずかしいはずである。その違いは商品力だったり、サービスの仕方だったりで、ひとつの要素だけを取り上げて同列に並べて論じることはできない。ここに、飲食業のむずかしさがある。

また、同じような接客用語と接客態度であっても、お客として感じる居心地のよさとか楽しさは、A店とB店とではかなりの違いが出てきたりする。味もボリュームも値段も似たようなものなのに、満足感が違うというのもよくあることであるcでは、こういうお客の印象の違いは何に起因しているのか。店長たるもの、その原因を明確につかみ取っていなければならない。

居心地が悪かったり満足感が薄かったら、お客は三度と自店を利用してはくれないのである。

逆にいえば、お客は何をもって飲食店を評価するのか、ということだ。お客は飲食店に何を期待し、何を求めているか。それがわかれば、お客の心をひきつけ、繰り返し来店してもらえるようになるだろう。

よく店長の責任は利益を上げることだ、という。たしかにそのとおりだが、利益を上げるためにはまず、しかるべき売上げを確保しなければならない。利益とは、売上げからさまざまな経費を引いた残りなのだ。

そして、売上げとはお客の支払ってくれた代金である。客数が増えなければ、つまり一人でも多くのお客に支持されなければ、売上げよりも経費が上回って利益どころではなくなってしまう。

飲食店はただお店を営業していればお客が来てくれる、というものではない。お客はお店を選ぶのである。しかも、いまのお客は外食に慣れているから、お店に対する選択眼は非常に厳しい。

しかし、お客は何も法外なことを要求しているわけではない。飲食店を利用するにあたって当然のことを期待し、求めているだけである。ところが、その期待に沿えないお店があまりにも多いのが現実だ。当たり前のことを当たり前にやっているだけのお店が繁盛する、という皮肉な状況すら生まれているのである。

Q(商品)とS(サービス)とC(雰囲気)

ところで、飲食店も食料品店も同じく食べ物を売っているのだが、飲食業の粗利益率は食料品店に比べてはるかに高い。それは、飲食店は食べ物プラス付加価値を売っているからである。食料品店が物販業で飲食店がサービス業と区別されているのは、そのためだ。

つまり、粗利益率が高い分に見合った付加価値がなければ、サービス業とはいえないのである。付加価値とはお客にとっての価値であるから、それが少なければ当然、お客は評価してくれない。お客に「不当に高い代金を取られた」と思われても文句はいえない。

では、飲食店の付加価値とは何か。ふつうこれを、飲食業の三要素として、次のように表現している。

①商品(クオリティ)=Q
②サービス=S
③雰囲気(クレンリネス)=C

商品=料理の内容は、お客に十分に納得してもらえるレベルにあるか。サービスのレベルはサービス業としてのレベルを維持しているか。お客のフロアは食事をするのにふさわしい雰囲気で、かつ常に清潔に保たれているか。

これら三つのレベルがお店の代金と比較して正当であると認められれば、そのお客は支持を受ける。そして、そのレベルが上がれば上がるほど、お客は繁盛することになる。

お客がお店の評価を下すのは、ふつうは食事を終えてレジで料金を支払うときである。お店に人った瞬問から、そのお店の雰囲気はある程度つかめる。メニュー表を見れば、価格は一目瞭然である。そして料理を食べれば、味のレベルとサービスのレベルもわかる。

しかし、そういう段階では食事を楽しもうという心理が働いているから、それらの印象はふつう、判断材料にとどまっている。しかし、レジでは違う。人間は具体的にサイフが痛なときもっともシビアになるからだ。

このとき、お客が高いと感じるか、安いと感じるか。それがお店の繁盛の成否を決定づけるのである。

飲食店の価値はQSCの総合力で決まる

いまQSC〇二要素のひとつ(Q)として商品=料理を挙げたが、飲食店の価値はあくまで、これら二要素の総合力で決まるのである。

もちろん、飲食店は料理を売るのだから、商品は料理ということになる。しかし、飲食店の売りものは商品だけではない、ということだ。料理プラス人的サービス、内装の醸し出すムード、そして清潔感が一体となったものが、本当の意味での飲食店の売りもの=商品なのである。逆にいえば、これら三つの要素がバランスよく保たれていなければ、お客の支持は得られないということになる。

たとえば「うちの料理はおいしいのだから」という自信が強すぎるあまり、サービスや雰囲気に対してほとんど神経を使わないお店があるが、たいていは繁盛とはほど遠い状態だ。反対に、料理は他店に比べて格段にすぐれているわけではないのに、大繁盛しているお店もある。こういうお店を見て前者の経営者は「味がわからないお客だ」と、お客を馬鹿にしたがる。しかし、いくらお客のせいにして自己満足にひたってみても、売上げが上がらないのでは話にならない。

前者の間違いは、飲食店の売りものは料理だけだと決めつけている点だ。だから「おいしければお客は入る」と短絡的に思い込んでしまうのしかし、いまのお客はたんにおいしいだけでは満足しなくなっている。

おいしいことなど飲食店の当たり前の条件と思っている。よほど飛び抜けたおいしさと価格の安さがなければ、料理だけではお客を呼べない時代なのである。

QSC=お客が期待するポイント

くりかえすが、飲食業の粗利益率が食料品店などに比べて圧倒的に高いのは、そこに付加価値分が含まれているからである。少しくらい料理がおいしくても、それだけでは材料原価の三倍の価格をお客に納得させられない。調理技術も付加価値の一要素(料理のクオリティ)ではあるが、サービスや雰囲気とのバランスがとれてはじめて、その価値が生きてくるのである。

一応サービス要員がいたとしても、そのサービスのレベルが低ければ、お客はサービスとは思わない。逆に、どんなに愛想のよいサービスをしても、料理がまずかったり、薄汚れたフロアでは、お客は振り向いてくれない。QSCの三要素とはこのように総体としてはじめて機能するものであって、そのトータルな付加価値が、お客のお店に対する評価の対象となるのである。いいかえれば、QSCの三要素とは、お客が飲食店に期待しているポイントである。

QSCと店長の仕事

ここで、店長としての立場でQSCの三要素について考えてみよう。三要素のレベルはどの程度でなければならないのか、という命題に直面するからである。

結論からいえば、そのレベルを決定するのは会社=経営者である。店長の仕事とはおおまかにいえば、経営者が考え設定したQSCの総体的レベルを身につけて、それをつねにお客に提供できるようにすることなのだ。このQSCに関する会社の総体的レベルのことをスタンダードという。

もちろん、店長であるあなたの経験や知識を生かして、改善策を経営者に具申することはすばらしいことだ。しかし、スタンダードはあくまで、経営の理念や戦略に基づくものだということを忘れてはならない。

店長の仕事とは、その戦略を実現するための戦術である。そして実現すべきものは、店長個人のレベルではなく、会社の設定したレベルなのである。

飲食繁盛知識-はじめに

かつて、飲食店は立地で決まるといわれてきた。もちろん、立地条件はいまでも、飲食店の繁盛を左右する一要因である。しかし、決して絶対条件ではない。いわゆる一等地に立地しているからといって、確実に繁盛できるという保証などどこにもない。反対に、誰の目にも明らかな不利な立地でありながら、地域一番店の名をほしいままにしているお店は珍しくない。

どうしてこういうことになるのかというと、飲食店の存在感は立地の優劣ではなく、付加価値の中身で判断されるからだ。そして、その付加価値を決定づけるのは店長(経営者)である。つまり、いまや飲食店の繁盛は店長(経営者)の力量しだいで決まるといっていい。

では、店長(経営者)の力量とは何を指すのか。大事なのはここだ。結論からいえば、それは、いかにたくさんのお客を満足させられるかということである。店長(経営者)の最終的な責任は売上高と利益だが、売上高とはお客の満足度の結果にほかならないのだ。

勘違いしてはいけないのは、店長(経営者)の仕事とは、たんなる技術の問題ではないということだ。

たとえば、最近はアメリカのチェーン店のストアマネジメントを導入するお店が増えてきている。計数管理技術は、いまや「できる店長(経営者とになるための必須技術になってきている。

しかし、いかにマネジメント技術に精通していても、それだけで繁盛できるわけではない。かつての水商売感覚から脱却した、近代的経営を実践する店長にとって、たしかに理論武装は大切である。しかし、店長(経営者)は何よりも実務家でなければならない。実務家とは、お客を満足させることができるということだ。そのためには、店長(経営者)には何が必要なのか。

それは「心」である。お客を愛する心がなければ、どんな技術も宝の持ち腐れにすぎない。私はいつも、飲食店経営で成功することは別にむずかしいことではない、といっている。何をどうすればいいのか。つまり、お客が何を求めているのかをきちんと理解して取り組めば、誰でも成功できるのだ。

本書では、店長(経営者)として知っておくべきマネジメント技術について網羅したが、同時に、お客への愛と奉仕する喜びという、サービス業の原点についてもできるだけ詳しく述べたつもりである。この原点をつねに忘れないこと。それが、本当に”できる店長(経営者)”の最大の条件なのである。

なお、本書では、飲食店の店長むけに記述してある。ただ、経営者=店長であるお店も多いし、そうでなくても成功する経営者になるために同じように役立つはずである。

著者紹介:宇井 義行
コロンブスのたまご 創業者・オーナー

学業のかたわら、18歳から飲食店で働きながら実践的な飲食業を学び、23~25歳で6店舗の飲食店経営を手掛け、超繁盛化。赤字店の1ヶ月での黒字化など奇跡を起こし注目を集める。 26歳の時、実践的な「飲食コンサルタント」として独立。個性的な店、地域一番店を目指し、情熱ある現場直接指導に力を注ぎ、 全国の飲食店3000店舗以上を指導。指導歴日本一のフードコンサルタントとして数多くの難問を解決。不振店を繁盛店へと生まれ変わらせる手腕は業界屈指のリーダーとして国内外で高く評価されている。