飲食店の仕事でもっとも大切なことは、自店のスタンダードをつねに維持することである。いつ、どのお客に対しても、一定のレベルの商品、サービス、雰囲気を提供しなければならない。これを仕事の均質化という。
口でいうのは簡単だが、これを従業員全員に徹底させることはむずかしい。だからどうしても、マニュアルが必要になる。では、なぜ仕事の均質化がそれほどむずかしいのだろうか。
第一の理由は、人それぞれ「常識」が違うからである。従業員教育の項でも述べたが、この違いは非常に大きい。自店のスタンダードといっても、観念的な表現では、全員がそれを具体的にかつ同一に理解することは、ほとんど不可能である。
たとえば、お客に感謝の気持ちをもて、ということなら誰でも理解できる。しかし、その感謝の気持ちをお客に対してどう表現すればいいのかとなると、これは難間である。「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」がちゃんといえればいいというものではないからだ。
オーダーのとり方ひとつ、テーブルヘの皿の置き方ひとつでも、お客は従業員の態度に敏感なものだ。かりに従業員に悪気がなくても、お客は内心、「なんだ、この店は!」とあきれているかもしれない。また、同じ接客用語でも、いい方や顔の表情、身体の姿勢でその印象はずいぶんと変わってくる。
とくに教えもしないのに、生き生きした表情で明るく、ハキハキと接客できる人もいれば、蚊の鳴くような声でしかモノをいえない人もいる。心の中で感謝していても、それがはっきりとした言葉や態度に表現されていなければ、お客には伝わらない。そして、飲食店では、お客に伝わらなければその感謝の気持ちはないも同然なのである。
調理の場面で考えると、もっとわかりやすい。たとえば、飲食業では分量を「一人前」で表現する。しかし、一人前という分量ほど曖昧な単位はない。極端な話、人によっては三倍近い違いが出るのだ。そこまででなくても、熟練した職人以外の目分量ほど当てにならないものはない。だから、各材料の使用分量をあらかじめ決めておく必要があるのだ。作業工程についても同じことである。
人それぞれ常識が違えば、当然やり方が違う。それなら、そのやり方を統一すればいい。そればマニュアルの考え方だが、しかしマニュアルはベストではない。この点をとくに強調しておきたい。
たしかに、自店のスタンダードを維持するためにはマニュアルは必要なのだが、マニュアルはたんに、従業員をロボットのように操るためのものではないということだ。ここを勘違いしてマニュアルに頼り切っていると、お店のスタンダードは必ず低下していくことになる。この点がサービス業のむずかしいところである。
お店の側が従業員はロボットでいいと考えていれば、従業員も当然そう解釈し、自然とロボット化していく。つまり、お客への感謝の気持ちが次第に薄れていく。
接客用語や接客動作は上達しても、お客にとっては不快なサービスになってしまう。たんなる形だけのサービスであることがミエミエだからだ。
マニュアルのこのジレンマに陥っているお店は実際、数え切れないほど多い。あなたもうすうす、そのことに気づいているはずであるcどうしてこういうことになるのかというと、 一般にマニュアルが、たんなる作業指示書でしかないからである。
もちろん、従業員といってもいろいろな人がいる。しかも、その大半は、パート・アルバイトであり、まったくの新人教育から始めなければならない。また、急速に店舗展開しているチェーン店では、チェーンとしての形を維持するため、従業員のロボット化が不可欠という事情がある。だから、従業員の足りない分は店長が補っていけばいい、という考え方になるわけだが、この考え方は非常に危険である。
それなら何が特効薬でもあるのかというと、そんなものはない。従業員は、自店で育てていくしかないのである。
ただし育てるとは、ロボット化することではない。当店では、どういうふうに仕事をすればいいのか、そのやり方を示してあげることは絶対に必要だ。しかし、それで教育が終わるわけではない。教育はそこから始まるのである。
それでなくても忙しいのに、パート・アルバイトにまでそんなことをしていられるか、という店長や経営者がよくいる。しかし、それはすでに自店のスタンダードの維持というお客に対する義務を放棄しているか、最初からスタンダードの実体がなかったか、そのどちらかである。
マニュアルはあくまで、従業員の教育・訓練・しつけの一ツール(訓練ツール)でしかない。このことを正しく認識し、実践してはじめて、マニュアルの本来の意味が生きてくるのである。
従業員の教育・訓練。しつけについての考え方は、会社によってさまざまだろう。店長の独断で会社の方針を変えるわけにはいかないことは、いうまでもない。
しかしそれでも、かりに会社の考え方に欠陥があったとしても、現場の店長次第で、かなりその欠陥を補うことができる。
逆にいえば、どんなに会社の方針が立派なものであっても、従業員を預かる店長がきちんと理解していなければその方針は何にもならないのだ。
マニュアルのとらえ方は、店長の従業員教育の出発点である。
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